真作保証 児島善三郎10号レゾネ掲載鑑定書付名画 新発見!展覧会出品作 松坂屋でたった4号が840万販売Christie's3500万名鑑1億3千万

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■発送は週明けとなります。ご了承の方のみご参加ください。■6月30日以降、落札ページに電話番号が表示されないようになりました。私共では高額品も多いため匿名配送はできません。お手数でございますが取引メッセージにてお電話番号をお知らせください。すでに電話番号がないために配送で問題が生じております。ご同意頂けない場合は入札はご遠慮ください。■私共が以前、出品致しました作品が先日放映された「開運!なんでも鑑定団」に登場し、150万円という高額のハンマープライスを記録致しました(ヤフオクでの落札の3倍)。これを記念して「なんでも鑑定団出品記念」と題しまして出品致します。私共が出品致しました作品が同番組で取り上げられるのは複数回に及びます。片岡球子(私共での落札が80万・鑑定団が600万評価)、田村一男(私共での落札が33万・鑑定団が250万評価)、西村計雄(私共での落札が120万・鑑定団が1千万評価)、山下新太郎(私共での落札が65万・鑑定団で150万評価)、藤田嗣治(複数回、いずれも数倍のハンマープライス)。鑑定団以外でも美術館に多数所蔵されました。今後とも素晴らしい作品を出品致しますのでご期待ください。■コンディションは絵画としての年代等により私共の判断によるものです。例えばシミが全体にある場合でも中古品の美術品ですので「目立った傷や汚れなし」「やや傷や汚れあり」に致します。絵画ないしは古い作品のご理解のない方のご入札はご遠慮ください。文中コンディションも併せてお読みください。またコンディションはあくまでも作品そのもので、付属品の額についてのものではありません。作品のコンディションが良くても額はかなり悪いの状態のものもあり、また画像等には反映されない場合もあります(場合によっては別の額)。■発送は週明け月曜日か火曜日になります。日時指定がある場合は週明け火曜日以降の指定で、落札後直ちに取引メッセージよりお知らせください。それ以降になりますと対応できない場合があります。発送を急がれる方、発送日を急かす方のご入札はご遠慮ください。作品によりまして金曜日に発送完了する作品もありますが週明け火曜日までに発送とお考えください。土日はお休みを頂いております。また大きな作品は配車の予約等で2週間以上かかる場合があります。運送会社の指示で同梱包はできません。「まとめて取引」は選ばないようお願い致します。また額ですが、作品ではありませんので、画像と異なったり、画像にないコンディション等ありましても、額に関しますクレームや評価は絶対にされないでください。以下規約に同意の方のみのご参加を願います。 ■本作には、「児島善三郎作品鑑定書」が付いています。■本作は、レゾネにあたる「児島善三郎秀作撰 油彩画総覧」掲載作品です。サイズ部分が(C)となっておりサイズ不明で写真のみが伝わってきた幻の作品で、本年度に鑑定証が発行されたまさに新発見といえる逸品です。さらに本作は1944年に開催された独立美術協会展出品作という最高の来歴を誇ります。■参考でございますが、松坂屋で開催された「日本画・洋画・彫刻 特選展」では、本作の半分以下の小さい児島善三郎の4号が840万円で販売されました。■昨年度には「生誕130年 児島善三郎展」が開催されました。詳細をご覧になりたい方はここをクリック■児島善三郎の作品は世界的なクリスティーズに出品され、日本円で約3500万円(HKD1700000)で落札されました。詳細をご覧になりたい方はここをクリック■児島善三郎は、1893年2月13日紙問屋児島本家の第9代当主・児島善一郎、トヨの長男として、福岡市中島(現・博多区中洲中島町)に生まれる。幼名は義太郎。1907年福岡県立中学修猷館に入学。3年のとき、中村研一らと絵画同好会「パレット会」を創立し、油彩画を描いたり洋雑誌を購入するなどして西洋絵画を勉強する。1912年修猷館を卒業し、長崎医学専門学校薬学科(現・長崎大学薬学部)に入学するも同年中退し、1913年画家を志して上京。1914年岡田三郎助が指導する本郷洋画研究所に2ヶ月程学ぶが、東京美術学校の受験に失敗し、以後師につかず独学で学ぶ。1915年帰郷したおりに結核に罹患。暫く郷里で療養生活を送るが、1920年には回復して再び上京する。この時期に福岡で結核療養中だった倉田百三と知遇になる。板橋に居を構え制作を開始し、1921年第8回二科展に『早春の下板橋付近』を出品し初入選。翌1922年の第9回二科展では、『裸女』、『代々木風景』が二科賞を受賞。同年、代々木初台にアトリエを竣工する。1923年、萬鉄五郎を中心とする円鳥会の結成に林武らと共に参加し、その第1回展に『若き女の首』など出品する。1925年から1928年にかけてフランスに留学し、パリのシテ・ファルギエールにアトリエを借りる。西洋の古典絵画に親しみ、アンドレ・ドランのフォービズムによる量感あふれる裸婦の表現などから多くを学ぶ。滞仏中も二科展へ出品を続け、帰国後の1928年の第15回二科展に、古典的な趣のある『立てるソニヤ』等渡欧作22点を特別陳列する。同年、二科会会友となる。1929年1930年協会に参加し、1930年二科会会員に推挙されるが、同年退会し、里見勝蔵、高畠達四郎、三岸好太郎、林武、福沢一郎らと独立美術協会を創立、日本独自の油彩画を確立することに意欲を燃やす。1931年、その第1回展に『独立美術首途(第二の誕生)』などを出品。そして、善三郎らが提唱する「日本的洋画」の主張(日本的風土に則したフランス・フォーヴィスムの受容)は広く画壇に波及するところとなる。1936年代々木から国分寺に転居し、ここで『箱根』、『東風』、『春遠からじ』などの作品を制作。1940年紀元二千六百年奉祝美術展に『松桜図』を出品。1943年第6回新文展審査員を務め、『上げ汐』を出品する。戦後は、1946年読売新聞社主催の新興日本美術展の審査員を務め、1950年読売新聞社主催現代美術自選代表作十五人展に出品。1951年第19回独立展で『アルプスへの道』を発表。荻窪にアトリエを移し、『犬吠岬』、『ミモザの花その他』、『バラ』などの作品を制作する。独自のフォーヴィズムから、日本の伝統的なフォルムと装飾的な表現の導入、写実への再確認などの展開を示しながら、「日本人の油絵」の創造を目指した。1952年青年期に罹った結核が再発し、療養と制作の日々を送る。1958年、週刊朝日に有馬稲子をモデルにした表紙画を描く。1959年銀座・松屋で開催された朝日新聞社主宰の児島善三郎自選展に、初期作品から近作まで絵画、彫刻百二点を出品する。1961年2月千葉市の額田病院に入院。1962年3月22日逝去。享年69。作品は、東京国立近代美術館、石橋美術館等に所蔵されています。■額はイタミがある場合があります。画像と異なる場合があります。保険業法の改正に伴い今後配送代は元払いとなります。詳細は一番下をご覧ください。簡単決済でお支払いの場合は私共への記帳への反映は数日後ございます。また、ヤフーのシステム上ご入金お礼のお知らせ通知がなく、数日後の発送連絡のみしかできません。これはシステム上でのことですのでご了承ください。入金確認の連絡、早急な発送等をご要望の方はお受けできません。大きな作品以外1週間以内に発送は通常完了しておりますのでご安心ください。心配性な方、神経質な方はご入札をご遠慮ください。落札後のお客さま都合のキャンセルは、お断りさせていただいております。最近、購入意志のない落札、いやがらせを目的とした評価が多発しております。新規および過去に取り引きのない方は、入札を取り消させて頂く場合がございます。参加ご希望の方は、ご連絡下さい。■作家評価:美術名鑑 10号=1億3千万円詳細画家:児島善三郎タイトル:秘園技法:キャンバスに油彩画面サイズ:45.7×52.9㎝額サイズ:68×76㎝サイン:左下にサイン 裏にタイトル・サイン 児島善三郎作品鑑定書付コンディション:概ね良好(古い作品のため必然の現象として部分的にイタミがあります)。

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